「一丁倫敦」を歩く

 知り合いのプレスの方から退職のご挨拶メールがきました。
 パリのブランドの日本代理店で仕事をしていた人です。
今後は、「心機一転イギリスで生活を始める予定でいます」とのこと。
数ヶ月前には雑誌エルデコでずっとおつきあいがあった編集部の方が、
やはり退職されて、しばらくロンドンで暮らしてみるとのこと。
二人とも、パリでなくロンドンというのが、ちょっと意外な気がしました。
友人のデザイナーも今、ロンドン移住を模索中です。
別の友人のお嬢さんは夏からロンドンの美術学校に留学されるし、
最近、ロンドンというキーワードがちょくちょく耳に入ってきます。

あの街は私にとって、トータルで5年近く暮らした、とても親しみのある所なので、
通りや家並みを思い浮かべると、懐かしさがじんわりと身内に広がってきます。
はじめてロンドンで暮らして帰国したあと、あの街が恋しくて仕方ありませんでした。
もう数十年も昔のことなので、当時、
ロンドンの街並みや空気感が感じられる唯一の場所は銀座や丸の内でした。
クラシカルで重厚な英国式の建物が建ち並び、
セヴィル・ローのような仕立屋やパブ風の店もあったりしたのです。
それは、明治時代、日本政府が英国から建築家を招き、
ロンドン直輸入の設計で建てた赤煉瓦のビル街の名残です。
実際、丸の内は明治時代に「一丁倫敦」と呼ばれていたのだそうです。
今風にいえばプチロンドンでしょうか? 
そんなプチロンドンを形成していた赤煉瓦の建物は、相次いで老朽化し取り壊されて、
今ではめっきり姿を消しています。
とはいえ、1914(大正3)年開業の東京駅の赤煉瓦の建物はじめ、
丸の内や銀座界隈は、明治や大正の人々が近未来を見据えて街づくりしただけあり、
今でもほかの東京の街とは異なる、独特の都市の空気を感じさせます。
東京駅は今、東京大空襲で消失した屋根部分を復元工事中で、
来年6月にはドーム型の屋根を持つオリジナルの壮麗な姿が再現されるそうです。
駅周辺は新丸ビルや丸ビルをはじめとした高層ビルが建ち並び、
日本を代表するビジネス街という言葉通りの景色が広がっています。
旧丸ビルは大正12年に竣工した日本初のショッピングモールでした。
ちなみにうちの祖父は旧丸ビル内にあった美術品店の番頭(今の店長ですね)で、
店員だった祖母と恋愛の末、結ばれたのでした。
我がジジババが先鋭的な社内恋愛を育くんだ旧丸ビルは1999年に取り壊され、
2002年に旧丸ビルの3階部分までを再現した新ビルが開業。
その丸ビルを右手に見て、国道402号を南下していくと、
この街のランドマーク的な建物のひとつ、三菱一号館美術館が見えてきます。
英国式赤煉瓦の建物の背後に、
現代的なガラス張りの高層ビルがぴったり寄り添って建っている様子は、
まるでフォトモンタージュが生み出したフェイク画像のようです。
「三菱一号館」ビルは、1894(明治27)年、
英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計した、丸の内初のオフィスビルでした。
建物全体の優美なロココ調のデザインは、
19世紀後半に英国で流行ったクイーン・アン様式なのだそうです。
昭和40年代初期に老朽化で解体された建物を、2002年に忠実に復元。
現在は美術館と、明治の銀行を復元した部屋がカフェになっていて、
古き佳き時代の面影を愛でつつ、まったりお茶することができます。
赤煉瓦のビルと新しいビルの間の細い道を入って行くと、
中庭が広がる丸の内ブリックスクエアがあります。
まるで、ロンドンの公園の一角のような中庭に面して、
フレンチの巨匠が監修するブーランジェリーとパティセリー、
「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション」などがあります。
ここのガレットはさすがにおいしい!といいたいところですが、
なぜかいつ行っても混んでいて、まだ未食。ゲットできたら噛みしめて報告します。
ほかにはスペイン王室御用達のショコラテリア、「カカオサンパカ」とか、
大人気のキャス・キッドソンとか、色々入っています。
ここで注目したいのは、「PASS THE BATON」という雑貨&リサイクルショップ。
ここは普通のリサイクルショップとちょっと違って、
出品物には持ち主の実名と顔写真、出品物にまつわるエピソードが添えられています。
出品者にはスタイリストやファッションディレクター、
カメラマンなど、かなりの有名人も。
つまり、不要品処理施設なのではなく、
大切にしていたモノを大切にしてくれる誰かに繋ぐ、「バトンを渡す」、
モノを通した交流の場のようで、掘り出し物もかなりあります。
丸の内というとエルメスやバカラといった高級ブランドのみのイメージがありますが、
一見地味なこういう店が出ているという所に、新しいい時代を感じます。
中庭では、女性以外にも男性サラリーマンが休んでいたり。
のんびりアイスクリームを食べている人がいたり。
都心のディープな一角に生み出された、人工的なレトロな建物と緑のオアシス。
どこか舞台装置のような空間ですが、それもまた都市の楽しみのひとつといえます。

そんなクラシカルで異国情緒漂う一角と対照的なのが、
もうひとつのランドマーク、国際フォーラムです。
セミナーなどに使われる会議室が詰まったガラス張りのオーバル型の建物と、
演劇やコンサートやイベントが開催される大小4つのホールなどがあります。
通路を兼ねた中庭には樹木が植えられ、
ミュージアムショップやレストラン、カフェもあり、
ここもまた都市の建物空間ならではの雰囲気があります。
けれど、三菱ブリックスクエアがどこかヨーロッパの街や、
仮にもその街に流れる時間を感じさせるとしたら、
国際フォーラムはまごうことなき現代トーキョーの姿!という感じです。
開館はバブルがはじけきった1997年ですが、
多分構想はバブル時代に練られたものであり、
時代の先端を行っちゃうよ!という勢いや気負いがみなぎっていて、
インドなど、今現在勢いのある街には、
きっとこんな建物や施設がいっぱいあるんだろうなと思わせてくれます。
施設は地下で有楽町駅と直結しているのですが、
このところ地下通路は節電で、夜は薄闇の中。
ここでも現代トーキョーがリアルに現れています。
国際フォーラムから日比谷方面に歩き、仲通りに出ると、
煉瓦タイルをモザイクのように敷き詰めた車道と、
同じくらいの幅のある広い舗道、その境に街路樹が並んでいます。
両側にはペニンシュラホテルをはじめ、バカラなどの海外高級ブランドショップが並び、
典型的な丸の内に出会えます。
この仲通りは明治時代から昭和初期にかけて赤煉瓦の建物が建ち並び、
まさに一丁倫敦の最強エリアだったようです。
1930年代の建物を一部復元したDNタワー21はじめ、
こうした方式が多いのもこの街の特徴です。
ある種、丸の内は歴史的な街に仮装した空間でもあり、
ビジネス街であると同時に街造りテーマパークでもあるような気がします。
このあたりはまた、今年100周年を迎えた帝国劇場をはじめ、
日生劇場、宝塚劇場、シアタークリエと名だたる劇場が並んでいます。
その面でもウエストエンドという世界に誇る劇場街のあるロンドンを彷彿させます。
帝劇の正面には皇居、その南側に隣接するのが日本初の西洋式公園として、
100年前に誕生した日比谷公園です。
樹木や花畑に囲まれた散策路や広場だけでなく、音楽堂や図書館もある都市型公園で、
それもやはりロンドンを思わせます。
平日でも、このあたりを歩くと、
舞台やコンサートに行く人達が劇場近辺を行き来しています。
芝居という異空間に触れるあとさきの時間に、
銀座や丸の内はなんてふさわしいんだろうと思うと同時に、
この街を歩いていると、かつて、ロンドンを模倣した街が、
アジアの覇者を経て、今、新しい方向を模索しつつ息を潜めているような気もします。
 
そういえばクールビズは、アフター5の行動を身軽にしてくれそうですね。
以前なら時間がなくてスーツのまま劇場やコンサート会場に突撃という所を、
この夏はカジュアルなシャツにコットンパンツでイケそうですし。
ちょっとおシャレしたい観劇などには、
ウインザーワイドカラーのロンドンストライプ、
ネイビーのクラシックモデルなんかがおすすめです。
麻のパンツを合わせ、麻の薄手ジャケットを手に持って。
夏の夜の丸の内・銀座を楽しんでみては?

*写真は、三菱一号館美術館の外観と、中庭です。