アナログ最後の日

2011年7月24日。
アナログ放送が終了しました。
1953年に開始したアナログ放送が58年の歴史を、正午に終え、
25日深夜0時に完全に停波しました。
ついにこの日が来たんだなあという気がします。
あと2年、あと1年、あと半年、あと1ヶ月・・・。
みなさんはカウントダウンのどのあたりで、地デジを準備されましたか?
我が家では、半分が2年前に地デジ化を済ませ、
半分のテレビは先月やっと地デジになりました。
放送関連の広報紙に関わっているので、この半年、
ずっと地デジの情報を書いてきました。
「地デジの準備はお済みですか?」と書きながら、お済みじゃないですと内心答え、
こうなったらぜひ、ブルーバックに「アナログ放送は終わりました」の
文字が表示されるのを、この目で目撃したいもんだ!とずっと思っていました。
が、やはりカウントダウンが迫れば慌てて家庭内の全テレビを、
地デジ化してしまった気弱な凡人であります。
 そんなテレビですが、最近本当に見なくなったというのが正直な所。
食事の用意をしている時にニュースを見る、ご飯を食べながらちょっと見る、
しかも、震災以降は圧倒的にNHKです。
あとは、もし時間があればDVDを見たりパソコンで何かを見たりしているし。
あるいはケーブルテレビに加入して、映画や音楽、スポーツ、
アニメの専門チャンネルを見ている人も多いのではないでしょうか。
それでも時たまテレビを見ると、たとえばバラエティなんかで、
肝心の時にCMが入って待たされる。と、もうイラッとします。
結局これがテレビ離れの原因なのだと思います。
テレビはコマーシャルを見せるための装置で、
すべてのテレビ番組はスポンサーのお知らせを伝えるために作られているのだから、
視聴者はコマーシャルにつきあわなければならない。
その図式にときたまうんざりしてしまうので、
「いいところでコマーシャルになった」とたん、それを潮時にテレビを消して、
ほかのことをしてしまうというわけです。
その反面、コマーシャルには優れたモノも多いし、
録画しておいた番組を数年ぶりに見ると、
コマーシャルのあまりの懐かしさに番組そのものより感慨深いこの皮肉。
ともあれ、ケーブルテレビやパソコンは自分の好きなモノを好きな時に、
自分のペースで楽しむことができる。
その魅力を知ってしまった現代人には、一番知りたいことの前にCMが3分入って、
CMタイムが終わるとまたスタート地点まで戻されて、
ヘタするとまたしてもCMが入る、
なんていうテレビの王様加減につきあう程ヒマじゃないと、思えてしまいます、
ほんとはそれほどヒマだったとしても。
そんなテレビですが、昭和の頃は本当に、
「なんでも見せてくれる、ときめきの箱」でした。
 私が子どもの頃はアメリカのテレビ番組に夢中になったものです。
 ポパイとか宇宙家族ロビンソンとかモンキーズとか。
 トムとジェリーに出て来るチーズにはなんであんなに穴があいているんだろうとか、
興味津々に見入っていたものです。
 お笑い番組でコント55号をはじめて見て、息が止まるほど笑い転げた日のことも、
ものすごくよく覚えています。
 日本のドラマの秀作もたくさん生まれましたが、
何故か今、思い出すのは音楽に絡んだ番組です。
 インターネットがなかった頃、海外の音楽シーンを
垣間見せてくれるのはテレビでした。
私が生まれ育った東京のローカルテレビは、
12チャンネル(地デジでは7)、テレビ東京です。
この局は大昔、まだ番組がたくさん作れるほど予算がなかったらしく、
午後3時くらいから5時頃までの時間帯は番組の間にスポットとして、
海外からの映像を流していました。
それがなんとたいがい英国のポップミュージックのプロモーション映像で、
ロック少女だった私にはヨダレが出るほど嬉しいシロモノでした。
ニッティ・グリッティ・ダート・バンドなんていう、
かなりコアなバンドの映像もここで観ました。
当時は来日する以外ではバンドのメンバ―が動いている姿など、
見られるチャンスがなかったのですから、このテレビ東京のスポット放送は、
かけがえのない宝物のような存在だったのでした。
 そんな時代に始まった画期的な音楽番組がビート・ポップスです。
 土曜日の午後3時からなので、当時中学生だった私は家に走って帰ったものです。
 ディスコクラブ風にしつらえたスタジオで、
DJブース風な段の上に司会の大橋巨泉が座り、
当時のミュージック・ライフ編集長の星加ルミ子や、
ティーン・ビート編集長の木崎義二なんかが脇を固めていました。
大橋巨泉がオヤジなだじゃれで曲を紹介するのですが、
たとえばデイブ・デイー・グループの「キサナドゥーの伝説」なんて、
「木更津の伝説」だったし。
映画紹介コーナーもあって、それもだじゃれのコントではじまります。
「100挺のライフル」を紹介した時は、
藤村俊二がお百姓さんのカッコで桶をかついで登場、
「百姓のライフル」とつぶやくという、だじゃれ好きにはたまらない場面の連続でした。
洋楽のランキングを紹介しつつ、最新情報や映画紹介コーナーもあるという、
音楽といえば歌謡曲が主流だった当時にしては画期的にして、
今の情報バラエティのプロトタイプになったような番組でした。
私はこの番組でローリング・ストーンズの「黒くぬれ」をはじめて聞いて、
以来ストーンズのファンになったのでした。
この番組、曲をかけている間は、スタジオで、
「ゴーゴー」を踊っている若い男女の観客を映し、
その合間にはターンテーブルに載って回っている、レコード盤も映し出されるという、
今にして思えば何がおもしろいのかと思いますが、それもまた画期的だったわけです。
大橋巨泉は伝説の深夜番組「11pm」においても代表的な司会者の一人でした。
このヒトは60年代にいち早く洋楽を紹介したり、
海外にロケに行き、たとえばヨーロッパで若者に人気のクラブに侵入という場面で、
勇敢にもダンスフロアで踊ったりしていたのですが、
いつもピークドラペルのタイトなスーツに白シャツ、ネクタイというスタイル。
七三の髪に黒縁メガネもトレードマークでした。
今や、ビジネスシーン以外で、海外旅行に、
スーツにネクタイで挑むヒトはいないでしょうし、
巨船さんのスーツ姿は時代の記憶の絵として強く印象に残っています。
スタイリングのチョイスだけでいえば、
フェデリコ・フェリーニの「甘い生活」における、
マルチェロ・マストロヤンニにもひけを取らないダンディーさでした。
この番組は70年代に入ると、愛川欽也が司会の日に今野雄二という、
先鋭的な音楽評論家が参加していて、
当時のイギリス音楽シーンの最新情報を映像とともに紹介してくれました。
クラッシュというイギリスを代表するパンクバンドの、
「ロンドン・コーリング」のPVや、
サイケデリック・ファーズというオルタナ系バンドのデビューシングルのPVも、
11pmではじめて見て、ものすごく興奮したのを覚えています。

80年代初期の「夜のヒットスタジオ」もなかなか隅に置けない番組で、
時たま英国のスタジオからの中継と称して、
イギリスのニューウェイブバンドを紹介したりしていました。
五木ひろしの演歌のあとにエコー&バニーメンが登場するという、
非常にグローバルかつ、並列に扱うことによって、
ある意味すべてがワールド・ミュージックと化してしまうという、
とても興味深い現象が起きる番組でした。
そして80年代半ばに入ると、MTVがはじまりました。
マイケル・ジャクソンはもちろん、シンディ・ローパーや、
あのヒトやこのヒトたちのPVに見入ったものです。
東京では日曜の深夜に放送され、2時頃にMTVが終わると、
また明日から一週間がはじまるという独特の気分・・・、
(唄子・啓助の「おもろい夫婦」も日曜夜で、
終わった時同じ思いにかられました)
あの番組を思い出すとそんな気分が蘇ってきます。
MTVがきっかけでヒットした曲はたくさんありますが、
「Video Killed a Radio Star」 もそのひとつでした。
テレビの登場によってラジオのスターの活躍の場が、
奪われてしまったという内容で、バグルスのヒットソングです。
その後「Internet Killed a Video Star」 というパロディソングもありました。
映像はマンガぽいアニメで、
マイケル・ジャクソンを思わせるシンガーがテレビで歌っています。
でもテレビ画面はミュート(消音)になっていて、
部屋の住人はテレビに背を向けてパソコンに夢中。
しまいにはテレビを押し入れに投げ入れてしまうけれど、
テレビではまだシンガーが歌っているという。

今、音楽はyou-tubeを見ればたいがいのモノが見られて、
iTunesからその場でダウンロードできます。
 地球の反対側で昨日生まれたばかりのバンドの音と姿を、
今日、ネットを通じてみることもできます。
あるいは、30年も前のパンクバンドの、今は亡きボーカリストの姿も、
見たい時に検索して見ることができます。
 それは確かに奇跡のようなことかも知れません。
 果たしてインターネットはいつ、誰に、どうやって殺されるのでしょう?