少女漫画のモチーフをプリントした
コムデギャルソンのワンピースを着ている人を見かけました。
昭和30年代に爆発的人気があった、大きな瞳に星が輝くタイプの少女の絵で、
高橋真琴の耽美的な作品です。
私も漫画を読み、便箋や封筒、ハンカチなどの高橋真琴グッズを集めていました。
とはいえ、いわゆる昭和の少女漫画のビジュアルは、
ファッション的ビジュアルと対極にあると思っていたのですが、
コムデギャルソンはなんなくそれをスタイル化してしまいました。
コムデギャルソンといえば、昔からファッションとアートが融合した
独自の世界を見せてくれる貴重なブランドです。
2018SSは、その高橋真琴の少女漫画モチーフを大胆に配した作品や、
野菜や果物を寄せ集めて描いた摩訶不思議な肖像画で知られる
ジュゼッペ・アルチンボルドのモチーフを配した作品などで、
相変わらずファッションが持つ創造力や可能性を見せてくれました。
近頃発表された2018-19FWも相変わらずダイナミックで、
異素材、異色、異柄の布が何枚も何枚も重ね合わされています。
まるでお相撲さんのコスプレの肉襦袢のようなボリューミーなトレーナーの下から、
繊細なレースを幾重も重ねたスカートが見えていたり。
種類の違うレースやフリルが何枚もモデルの体の上にうず高く盛り上がり、
着ているというよりまるでレースとフリルの塊が、
覆いかぶさっているようなドレスなど。
形はダイナミックだし、使われている布もミルフィーユのように重なり、
中には裁断後の布を積み上げてそこから首を出しているようにも見えるトップスなども。
とにかく、そのフォルムに感動するとともに、
どうやって着るんだろう?実際に着られるのか?
それより、川久保さんは本当に、これを着て歩いて欲しいと思っているのか?
など、考えてしまうデザインばかりでした。
もちろん、コレクションと実際の商品展開は異なることもあります。
にしても、ギャルソンの提案はいつだって胸を揺さぶられる力があります。
思えば、コムデギャルソンが、パリコレに打って出て、
「ボロルック」とか「動くアート」とか「西洋的エレガンスへの挑戦状」とか、
賛否両論を巻き起こしたのは、もう40年近くも前のこと。
パリコレが代表する近代のフレンチファッションは、
1858年にシャルル=フレデリック・ウォルトがはじめたオートクチュールが元祖です。
オートクチュールはいうまでもなく一握りの富豪の夫人や令嬢たちが、
高級車のような値段の注文服を作ることで成り立つシステム。
いわば夫人たちは、富豪の夫たちの資産によって、
美しく優雅で豪華に仕立て上げられていたのです。
それは夫たちのパワーの誇示でもあったかも知れません。
夫人たちも競ってより豪華な服を注文し、
その注文や欲望に答えるべく、デザイナーたちは、
技術やデザインや仕立てを競い合って、
結果的にファッションの技術や可能性がどんどん進歩していったのです。
そこにあるのは限りない欲望であったかも知れません。
美しい女性は、もっと美しく見られたいという思い、
もっとセクシーで魅惑的で、夫をはじめ男性たちから愛されたい。
彼女たちは攻めの姿勢であると同時に
限りなく受け身でもあったように思います。
そんなパリコレに日本から東風を吹き込んだのが、
コムデギャルソンでありヨウジ・ヤマモトです。
黒い服にたくさん穴の開いた服は、西洋的エレガンスの観点から見れば、
美しくもセクシーでもなく、ただ貧しそうなだけでした。
それ以前にパンクが登場し、穴の開いたTシャツやセーターなどのファッションはありましたが、
あくまでもストリートファッションで、パリコレには登場していませんでした。
かくして、女性が男性に美しさやセクシーさをアピールするための、
極めて野性的かつ人間的なファッションの市に、
ほとんどの男性が引いてしまうような、
ファッションを持ち込んだのです。
コムデギャルソンの服は、男性の財産と庇護のもとで、
エレガントに生活する女性のための服ではなく、
自分の価値観で行動する女性のための服でした。
それが、その昔「ゲイシャガール」と言われたほど、
受け身で女らしいと思われていた日本から発信されたことは、
とても興味深いことです。
次元が違うかも知れませんが、一時、渋谷に出現したヤマンバギャルなども、
男性から見た美しさやセクシーさをまったく度外視して、
自分たち独自の価値観で、あっと驚くメイクをしていました。
ああいう女の子たちが生まれるのが、まだまだ男性社会の日本から、
ということも、とても興味深いと思います。
ちなみに、ギャルソンのコレクションの中には
ものすごく女らしいフリフリドレスを身頃全面にプリントした、
シンプルなTシャツ型ワンピースというのもありました。
これまたブラックジョークのような作品です。
伝統を守ることと新しいものを生むこと。
どちらも同じくらい強力なパワーが必要なのだと思う、春です。