哀愁のデイ・トリッパー

なんだか今年の夏は、ずーっと締め切りに追われていて、
旅行どころか、満足に息抜きもできないまま。
気がつけば9月が終わっていました。
10月も3日になり、そろそろ金木犀の香りが風に乗ってやってくる頃です。

この夏、仕事をしながら、ずっと旅行に行きたいと夢想していました。
ひたすらの現実逃避願望です。
まず行きたいのがイタリア。
南イタリアのシチリア島あたりで、海辺のレストランに入り、
イカだのタコだののアーリオオーリオ風味がいただきたいもんです。
オリーブオイルも北より南が濃厚で、
料理は北より南のほうが好みですが、
行ってみたい場所はイタリア側のリビエラ海岸近くにある、
チンクエ・テッレという所。
ティレニア海に面した岸壁に赤・黄・オレンジなんかのカラフルな建物が密集している、
まるで絵に描いたような不思議な村々です。
ここは交通の便が悪いとのことで、
昔ながらの文化や風習がそのまま残っているとか。
ともあれ、家ズキ、しかも風変わりな住宅ズキとしては、
写真で見るたび、もうたまらんと思います。
イタリアはベニスも行きたいし、
昔の建物が残るアルベロベロという北の村にも行きたい。
それが時間的に無理なら、せめて国内のどこかに行きたい、
もう日帰りでもいいから、伊豆とか箱根とか。
伊豆急は遅くなると各停しかないけどまあいい。
河津の海辺の店で刺身と焼き魚を食べたい、
下田で刺身と煮魚を食べたい、
箱根なら、はつ花で天ぷら蕎麦だ・・・と、胃袋直結の旅行願望はつのるばかり。
どれほど日常に埋没しているか、ということでしょうか。
箱根といえば、2年前は取材で箱根に行くことが多く、
1年で5回も行ったものでした。

小田急線沿線で生まれ育った私にとって、
子供の頃から行楽地といえば箱根。
海賊船に乗るのが何より楽しみで、
泊まったホテルのレストランで食べるアイスクリームがとびきりおいしくて、
旅館では今で言うウエルカムスイーツの湯餅がおいしくて、
帰りにおみやげ物屋さんで買って貰ったりしました。
そうそう、ロマンスカーに乗る時に雑誌を買って貰うのですが、
私は小学生の頃から週刊誌が好きで、
駅の売店で週刊新潮を買って貰って、
夜、旅館で読んだりしていました。
そんなことを箱根に行くと、ふっと思い出します。
おもしろいことに、当時泊まったことのあるホテルはすべて今も営業していて、
そのうちの2軒はその後、広報紙の仕事で関わることになったのでした。
箱根には山ほどホテルや旅館があって、
私が子どもの頃や若い頃に泊まったことがあるのはせいぜい5軒。
そのうちの2軒と、大人になってから仕事でかかわるって、
めちゃくちゃ高確率といえまいか。
しかも何十年も経っているのに、
それが全部今も残っていて、そこに取材に行ったりしている。
運命のようなものを感じます。
ともあれ、箱根というのは自然のテーマパークのように、
よくできたジオラマみたいで楽しい所です。
外輪山に囲まれた青い芦ノ湖に、色鮮やかな海賊船が浮かんでいるのは、
いつ見ても心躍る眺めです。
それにしても、この湖に海賊船を浮かべようなんて、
最初に考えた人は相当アナーキーではないでしょうか?

最後に箱根に行ったときは芦ノ湖周辺のゴールデンコースと、
足柄古道という万葉時代からあったらしい道の、
周辺を数日かけて取材しました。
私が事前に作った取材コースでは、
新松田駅から国道を経て、
現在は足柄街道という名前になっている車道を車で行き、
古道入口というバス停近辺を撮影し、
あとは要所要所を車で回って撮影する、というものでした。
が、いっしょに行ったディレクターが予想外に熱心で、
山の中腹に車を止め、
ハイキングコースをグイグイ登って行ってしまいます。
私は内心、マジかよ、と心折れながらも実踏せねばならず、
ひたすらバテまくった苦い秋の思い出・・・。
ちなみに「実踏」とは「じっとう」と読み、広告系の業界用語で、
「ほんとに歩く」という意味です。
その日はハイキングの予定はしていなかったので、
バッグは肩掛けのトート。
しかも地図だの資料だのガイドブックだのが詰まり、重たいのなんの。
ゆるやかとはいえ岩場も登ることになったら、
重いトートバッグがさかんに肩から滑り落ちてきます。
仕方がないので、トートバッグをリュックのように背中にしょって登りました。
時たま、アホそーな男子中学生がやっている、学生カバンしょっちゃうぞスタイル。
あとで家に帰って、念のため鏡の前でそのカッコを再現してみたら・・・。
あまりのカッコよさに気絶しそうになりました。

それはさておき、足柄古道の周辺は棚田があったり、
心洗われるようなのどかな里山の風景が広がっています。
水田の横に猪の皮が2頭分並べて乾してあったり、猪鍋でも有名な所です。
足柄は金太郎(坂田金時)の生まれ故郷とかで、生家跡があります。
本当に『跡』のみで、ただの土地ですが。
そして、神奈川県側から西へと古道をたどり、
静岡県に入った所にあるのが足柄峠です。
ここから見る富士山は、ただもう圧巻。 裾野の町まで一望です。
雄大で神々しいその姿が、霊峰という言葉とともに胸に染みいってきます。
昔の人達の、山岳信仰のマインドが理解できます。

途中で寄った『万葉うどん』は茅葺きの古民家の店で、
うどんもおいしいし、自家製のアイスクリームがとてもおいしい店です。
いろいろな種類があり、私は季節限定の柿のアイスを食べたのですが、
まったく柿の味。100パー柿。じゃ柿でいいのでは、というなかれ。
そしておでんは、おでんバーさながらにセルフで好きなだけ取って、
会計時に本数を自己申告すればいいという、太っ腹なお店なのでした。

この店は地蔵堂という大昔のお堂の近くにあって、
辺り一帯は江戸時代の東海道の旅人気分が味わえる、
超レトロでのんびりした、時間が止まったような村なのです。
食事を終え、うどん屋から出た私たちのあとから、
急用でもできたのかおじさんが走り出てきて追い抜いていきました。
そして店の前に駐めてあったクルマに乗り込んで、
(店の前は路駐大会だけど誰もなんにも言わない)
坂道をバックで、猛スピードで走り降りて行ったのには、もう唖然。
そのスピードたるや。
都会であんな猛スピードで坂道バックで走るなど、ありえません。
そんなことをしたらたちまち死傷者続出で、
翌日の新聞は「真昼の流血、殺人ドライバー」とか見出しが躍りそう。
その村では人通りもほとんどないけれど、
脇道から子供が飛び出す可能性もないということなのでしょうか。
というわけで、足柄の人々は、ゆっくり流れる時間の中を、
猛スピードでドライブすることによって、
結果、都会との時間の距離が縮まっているような・・・。
のんびりしている村の人たちほど速い、という教訓を得た出来事です。
そんな足柄・箱根の旅路。
子どもの頃の記憶をたどると、旅先の母はいつもおしゃれしていました。
ウエストをしぼったワンピースのスカートはパニエでも入れていたのか、
いつもふわっと広がっていました。
箱根神社の長い石段も、ピンヒールで登っていました。
当時の写真を見ると、旅先の男性陣はみなスーツにネクタイ。
研修旅行?ないでたちです。
時は変わり、今や旅もカジュアルなスタイルで行く時代。
背中にトートバッグ背負って、雄大な富士を眺めに行きたい今日この頃です。