バスを待つ近未来

早くも梅雨いりです。
曇り空の下、紫陽花だけが光を放つ街角で、
バス停に椅子が置いてあるのを見かけました。
時折、ありますよね、
コカコーラのロゴ入りベンチとかでなく、
近所の人が自主的に置いたような、やけにプライベート感溢れる椅子。
しかも2〜3脚バラバラなものが並んでいたりします。
今日見たのは、いかにもプールサイドか海の家にありそうな白いヤツと、
灰色のいわゆる事務椅子と、
昭和のスナックみたいな丸っこいビニール椅子が、
横一列に並んでいる光景でした。
梅雨空のもと、そこだけやけにリゾート感漂う一脚と、
やけに経理のおじさん的一脚、
そして水割と歌謡曲が似合いそうな一脚が並んでいるのでした。
椅子の前にあるのは紺碧の海でもきまじめな仕事机でも、
バーカウンターでもなく、バス停の標識とアスファルトの道路。
アンバランスな取りあわせが小さなドラマを描いています。

椅子というのは、誰も座っていない時でさえ、妙に人間味があって、
ミステリアスな存在感があります。
だから使い古された椅子がバス停に並んでいると、
本来の目的である、人を座らせるためというより、
椅子そのものがバスを待っているような、
異なる人格と人生がバスを待っている感じがして、
どきっとしてしまいます。
さらに椅子の年代も様々。
今日見たスナックのような椅子は、
いかにも60年代の産物という近未来感満載のモダンなデザインでした。

20世紀初頭にドイツで生まれたモダンデザインが、
その後ヨーロッパで成長して世界中を席巻するようになったのは、
1950年代から70年代初期にかけて。
日本では昭和30年代から40年代の頃です。
服でいえばピエール・カルダンの宇宙ルック、
キッチン雑貨でいえば天然素材のザルが、
オレンジやピンク色のプラスティックに変わった頃です。
家具屋さんのショーウインドウに置いてあるソファやダイニングチェアが、
唐突にモダンになり、それがまた今にして思えばチープでポップでカラフル、
子ども心を刺激されたものです。
確かその頃、我が家に最初にやって来たダイニングチェアも、
背もたれとシートは真っ赤なビニールレザーでした。
これは当時、ものすごく出回ったタイプで、
先日も下町のラーメン屋さんで、黄色バージョンが、いまだに並んでいて感動しました。
欧米と違って最近までリサイクル思想が希薄だった日本では、
古いモノは捨てられる運命でした。
それをかいくぐって生き残る、あの頃のモダン家具に出会うと嬉しくなります。

箱根・芦ノ湖畔にあるプリンスホテルがリニューアルする前のレストランでは、
椅子がイームズのDSS-N、通称シェルチェアだったので少し驚きました。
(写真/下・左)
チャールズ&レイ・イームズはミッドセンチュリー(1940〜60年代)の、
アメリカを代表するモダンデザインの巨匠夫妻です。
北欧モダンの巨匠、アルネ・ヤコブセンと並ぶ、
ミッドセンチュリー家具界のアイコン的存在です。
しかもこのホテルの椅子は古くて、
まるで1950年にこの椅子がはじめて世に出た時に購入したのか?
と思えるくらい年期が入っているのでした。
西麻布や表参道の小じゃれたカフェにあると、
だから何、としか思えないイームズのシェルチェアが、
庶民的なビュッフェスタイルのレストランに、
しかも誰もこれが20世紀の名作家具だなんて知っちゃいないわ、
店のスタッフさえ(多分)気にしちゃいないわ、という忘れ去られた風情であることに、
味わい深くも感慨深いものを感じてしまいました。
(その後、レストランは改装してグレードアップ、今、この椅子はいずこへ?)

中央の写真は、日比谷にある日生劇場の椅子とテーブルです。
もうまさに60年代にタイムスリップしたようなリアルな遺産にして現役です。
1963年にこの劇場がオープンした当時は、高度経済成長のド真ん中。
その上昇気流に乗ったデザイン界の、アゲアゲだった意欲や勢いが感じられて、
甘く切ない思いにとらわれます。
ここはインテリアが舞台同様ドラマティックで幻想的な劇場で、
階段やテーブル、椅子といったものはオープン当時のデザインのまま。
60年代に子ども時代を過ごした者に取っては五感がノスタルジーで破裂しそうです。

一方、当時に較べれば豊かになった今の時代のモダン家具の取り入れ方は、というと。
昨年、箱根にある「彫刻の森美術館」のギャラリー・カフェで、
パントンチェアがずらりと並んでいるのには驚きました。(写真/下・右)
ヴェルナール・パントンはデンマークのデザイナー・建築家で、
これまたミッドセンチュリーの巨匠の1人です。
一昨年、日本でも回顧展が開かれたりしました。
これは1959年に発表され、
半世紀後の今なお斬新なモダンフォルムを誇るマスターピースで彼の代表作です。
モダンでありつつ、後ろから見ると足元がドレスや着物の裾のように優美です。
以前、京都の日本家屋に住んでいるフランス人アーティストが、
和室の畳の上に紫色のパントンチェアを置いている写真を見て、
いきなりモダン旋風が吹き荒れた昭和40年代を思い出しました。
我が家でもステレオとかソファは和室の畳の上に置かれていたものです。

当時の人々が近未来に思いを馳せ、様々に挑戦してきたデザインを見るにつけ、
あの頃の近未来にいる私たちがそのココロを受け継いで、
着実に前進して行かなかればと思います。
思い出は過去を振り返るためにあるのではなく、
未来を生きるためにあると、フランスの作家がいったそうです。