いつの間にか、金木犀が香る季節になりました。
今年はいつにも増して、時間がたつのが早いような気がします。
デザイナーのヨーガン・レールさんが亡くなったと新聞記事に出ていました。
本社がまだ竹芝の海に面した倉庫街にあった頃、
インタビューしたことがあります。
口調も物腰も穏やかなんだけれど、
うちに秘めた熱くて断固とした意志の存在が、
気迫で伝わって来る、という感じの人でした。
「あとでスタッフもいっしょにお昼ごはんに行きましょう」と誘ってくださったり、
(実際は取材の都合で行けなかったのですが)
インタビューに来た人をランチに誘ってくれる有名人はそうそういません。
そんな心配りの人でもありました。
なぜ、ここでヨーガンさんのことを書いているかというと、
今回書こうとしていることに、少し関係があるからです。
先ごろ、羽田空港の国際線拡大にともなって、
ターミナルビルがリニューアルしました。
これまでも羽田の国際線では海外からの観光客に向けて、
江戸の町をモダンに再現したフロアを設けていました。
古き佳き時代の町並みは「江戸小路」と名付けられていて、
空港ビルの現代的な建物の中に瓦屋根や格子戸や芝居小屋が建っているという、
いわばプチお江戸テーマパークのようになっていました。
今回、国際線のフライトが増えた関係で建物も拡大、
さらに「はねだ日本橋」と名づけた太鼓橋ができたり、
盆踊り会場のようなお祭り広場ができたり、
よりいっそう江戸の風情を感じられるようになっています。
なぜ、今になってこうなのか?
なぜ、成田空港のターミナルビルはこうではないのか?
なぜ、迎賓館はフランス風なのか?
日本の玄関口である空港ビルや海外の賓客を迎える施設で、
なぜ、日本古来の特色や伝統のスタイルをテーマに据えて、
前面に押し出さなかったのか?
それは、まだ日本が発展途上だったからなのでしょうね。
海外からくる「ジャパンイズフジヤマゲイシャ」と思っている人々に
「オー、ジャパンイズモダン!」と認識してもらう必要があったのですね。
翻って現在、日本はもう、クール・ジャパンとすら呼ばれる、
アジアのおもしろランドです。
迎賓館も、和風に作り直そうかね、といわれる時代。
谷中や根津、千駄木など下町を散歩するのがブームだったり、
今、私達は日本の再発見を楽しんでいる気がします。
海外に旅行することがこれだけ普通になってくると、
帰国したときまた違った視線で母国を眺められるようになって、
ある意味、外国の人のような視線で日本をおもしろがる人が
昔より増えているせいもあるのではないかと思います。
そして、なぜここでヨーガンレールと結びつくかというと、
ヨーガンさんは70年代のはじめから、
ファッションや生地作りという点で、
日本のよさに目をつけてデザインやものづくりを展開した人だからです。
80年代、ショップに並ぶマネキンが、
アジア人の容貌と体つきをしているのはごくわずかで、
ヨーガンレールの店はその先駆けだった気がします。
日本のファッションのベースは欧米にあったのですから、
マネキンも当然、欧米人の顔と体つきをしていたのですが、
ヨーガンレールはそこに新しい提案を試みたわけです。
今、海外からの観光客は年間1000万人を超えたといわれます。
ひとむかし前まで東京や京都を訪れる観光客は、
欧米人にしてもアジア人にしても、
いわゆる「生活に余裕がありそうな」中年夫婦や、その家族か、
逆にバックパックひとつで地球を歩く派、
といったタイプが多かったのですが、
最近はそれに加えて、とくに余裕もないけれど、
でもトレンドアイテムやファッション大好き!なワカモノが目立ちます。
日本の女子高校生みたいなカッコをしている白人の女の子たちや、
ゴスロリぽいカッコをしているカップル、
あるいは日本製のボールペンやメガネ、時計、
仕立てのいいシャツなどをオトナ買いしている夫婦。
日本の文房具は「使いやすいし壊れない」、
日本の服は「仕立てがよくてオシャレな割に価格がリーズナブル」、
と海外で大人気のようです。
そんな人たちがショップの袋を抱えて渋谷や原宿などの繁華街を
歩く姿をよく見かけます。
彼らにとって現代トーキョーやオーサカはすこぶる刺激的な街なのでしょう。
資源の少ない小国であるわが祖国。
映画祭とF1と観光で世界中から人がやってくるモナコのように、
日本の誇るものづくり技術や下町の江戸情緒で、
世界中を惹きつけて行って欲しいと思います。
*ちなみに現在のヘッダー画像は空港ビルではなく、川崎のショッピングセンター「ラゾーナ川崎」。
施設一階フロアは円形広場になっていてステージがあり、芸能人の新曲発表なども行われます。